ANMELDEN第十二話 勝来
玉菊灯篭が始まり、二日目。
「おはようございます」 今日は梅乃より小夜が早起きをしていた。
「なんだ、今日は小夜の方が早いんだな」 片山は、掃除をしながら小夜と話していた。
「えへへ~ 潤さんこそ、いつも早いですよね♪」 小夜は片山からホウキを受け取り、外を掃いていた。
そして誰もが待っていた時間、朝食である。
「モグモグ」 小さな音で細かく噛んで食べる小夜に対し、 「ガッ ガッ」と口に流し込んで食べているのが梅乃である。
性格も反対である。 オドオドしている小夜に対し、正面から当たっていく梅乃。 そんな二人だが仲がいい。
これは “人の法則 ” と、言うのであろうか。
小夜も梅乃も、お互いに惹かれあっていた。
『人と言うのは、自分と近しい存在に親しみを覚え、そして自分から遠い存在に惹かれるものらしい』
捨て子だった二人は親しみがあり、正反対の性格の二人が惹かれ合っていたのである。
もちろん喧嘩もなく、お互いの手を握り合って励ましている仲である。
「梅乃、今日は勝来に付いておくれ。 そして小夜は、信濃に付いておくれ」 朝食も済まさぬ時間、采は二人に言った。
(来たか……) 采の言葉を聞き、菖蒲の顔がピクッとした。
玉芳に付いていた四人が、各々でバラバラの役目を持つ。
そしてこの四人が分断されたことにより、三原屋の暗い影を落とすことになるのを、まだ采は知らなかった。
昼見世の時刻、多くの妓女は張り部屋に入った。
菖蒲も、その一人である。
菖蒲は、一人の客から贔屓《ひいき》にされて勢いを持っていた。
笑顔のコツを知り、慣れぬキセルを辞めた。 完全に “真面目な女の子 ”を演出するようになっていた。
菖蒲の手法は、紙に見世と名前を書いた紙を数枚持つ。
そして、その紙を客前で咥えて紅を付けて渡すのである。
現代で言えば、名刺にキスマークを付けて渡す手法になる。
これを菖蒲は覚え、上手に人気を得ていた。
そして昼見世が開始して、三十分が経つ頃
信濃が着飾った姿で店の前に立った。
「お~ いい女だな……三原屋の花魁か?」 そんな言葉が客たちの視線を奪った。
「なによ、信濃のヤツ……」 そんな妬みが、張り部屋に流れる。
みんなと同じように一般の妓女であった信濃が、いきなり高級妓女になったのであれば面白くもないだろう。
そんな中、張り部屋に椅子を持った采が現れた。
「よいしょ」 采は、椅子を置くと、妓女たちが座っている場所を整理した。
妓女は張り部屋の左右に分かれ、奥の椅子が見えるような配置をしていた。
「よし、勝来入りな」 采の呼びかけで勝来は豪華な衣装に身を包み、静かに張り部屋に入った。
「ここに座りな」 采の言葉で、勝来は声も出さずに椅子に座った。
(この衣装……まさか勝来が花魁に……?) 張り部屋がざわつく。
椅子に座った勝来は、他の妓女と目を合わすことなく真っすぐに外を見ていた。
そして、見世の前に置かれた椅子に座っていた信濃も勝来の姿を見た。
(なんでよ……この前まで、私の付き人だった勝来が……) 信濃は手を震わせ、怒りを滲《にじ》ませる。
客が多い見世の前、三原屋の二枚看板として話題を作っていったが……
(なんで客が勝来を見るのよ……私が花魁になるのよ! なんで勝来を見ているのよ) ここに信濃が闘志を燃やしていた。
その三原屋の奇策に、驚くこともなく表情を変えない二人がいた。
菖蒲と梅乃だ。
(活気があって、いいな~) 梅乃は単純に客が多く、『みんな良くなれ』と、思っていた。 まだ梅乃は、女のドロドロの世界を知るには早かった。
しかし、菖蒲は
(これは、玉芳花魁の客が多くて妓女はオコボレを貰っていた。 なのに自身の営業と勘違いして生ぬるい環境になってしまったツケだ……)
生真面目で、勉強熱心だった菖蒲は正しく気づいていたのだ。
そして、菖蒲はチラッと勝来を見る。
勝来は、家柄も良く武家の出身である。 武家出身と言うだけで箔が付き、話題性は十分だ。
そして、見た目である。
勝来は、ほっそりした顔立ちで目が切れ長である。
まさに浮世絵などで出てくる顔であり、目立つ顔立ちではないが奥ゆかしさが見えてくる。
そんな勝来の変貌に、菖蒲は本気で勝来に挑もうとしていく。
しかし、表情を変えずに外だけを見ている勝来の姿に、菖蒲は違和感を覚えた。
そして、昼見世の時間が終わり、大部屋には数名の客がいて話しができず、二階の部屋に妓女が移動する。
そこで始まった。
“パンッ ” と、言う音が妓楼の二階に響いた。
信濃が勝来の頬を叩いていた。
「なんで勝来が花魁なのよ……アンタ、私の付き人だったでしょ? なのに、その服……脱ぎなさいよ!」 信濃が怒り狂い、勝来の服を脱がそうとしていた。
信濃は二十五歳。 これが花魁となる最後のチャンスかもしれない。
勝来は十四歳。 先日に水揚げをしたばかりの生娘に近い状態である。
この妬みや嫉妬の中、妓女たちの戦いは激化していく。
「ねぇ梅乃……」 小夜は、梅乃の服を引っ張り、心配していた。
この、ただならぬ雰囲気に小夜も気づいていた。
「大丈夫。 私たちは大丈夫だから……」 梅乃は、そう言って小夜を別の部屋に連れていった。
そして、「私たちは二人で花魁になればいい。 それなら喧嘩にもならない……ねっ♪」 梅乃は、ニコッとして小夜に言った。
しかし、興奮している妓女たちの怒りは治まらなかった。
「アンタ……そんなに怒っているけど、いきなり高級妓女になったからって、お高くとまらないで」 ある妓女が、信濃を攻めだした。
そこから妓女たちは、疑心暗鬼の中での営業は続いていく。
本当なら、こんな妓楼を辞めて楽しく仕事をしていと思うのだが、借金もあり、年季が明けるまで働かなければならない。
そんな環境で、妓女たちのストレスが溜まっていくのである。
そんな時であった、
「姐さんたち! 恥ずかしいと思いませんか?」 菖蒲が大声で叫んだ。
「菖蒲……お前はどっちの味方なんだい?」 先輩妓女は菖蒲を睨んだ。
「私は、どちらの味方でもありません。 もちろん勝来とは長年一緒に仕事をしました。 けんど、信濃姐さんのお仕事もやりました。 なのに、こんな事で仲間割れをするのは恥ずかしいと思いませんか……」
そして菖蒲は泣き出してしまった。
(菖蒲姐さん……) 勝来は無言で、顔色も変えずに菖蒲を見た。
「勝来だって、こんな風になりたくてなった訳じゃないのに……」 菖蒲は必死に勝来を庇っていた。
「菖蒲姐さん……」 勝来が菖蒲の肩に手を置いた。
すると、 菖蒲はパッと勝来の手を払った。
「勝来、ここでは情けは毒よ! 私も貴女と戦うから! 覚悟して!」 菖蒲は低い声で渾身の力で勝来に宣戦布告をした。
「はい。 これでお終いだよ」 采が手を叩いて、この場をいさめる。
そして 夜見世の時刻、妓女たちは引手茶屋に向かっていく。
その中で、菖蒲と勝来は大部屋に残っていた。
「姐さん……私」 勝来は、菖蒲に何かを言おうとしていたが、
「まだいい。 話すな……」 菖蒲も察した様子だった。
「勝来、さっそくだ! 引手茶屋に迎えに行きな!」 采は、勝来の指名を告げた。
勝来は、お供として梅乃と小夜を連れて引手茶屋に向かった。
「はじめまして……」 まず初見の客とは引手茶屋で食事などをして様子を伺う。
これは金を持っているか、罠などではないかを確かめる。
そして重要なのは、身体検査だ。 皮膚の状態を身体の動きに合わせ、服の隙間から肌の状態を見る。
これは梅毒が無いかを見るのだ。 梅毒があれば、皮膚の弱い所にアザのような色に変色していく。 これを確認していた。
こういう時、顔に出さない勝来は適任である。 表情が乏《とぼ》しい為、お高くとまって見えるが高貴にも見える。 うってつけであった。
そして、菖蒲が酒宴の用意が出来たと勝来に伝えに来た。
そこでも表情を変えずに頷く勝来は高貴にも見える。
そして酒席にて、勝来は黙ったままである。
初めての客は、花魁など高級妓女のご機嫌取りから始まり、嫌われないようにするのだ。
特に、花魁が相手では、客でも偉そうにしてはいけない。 追い返されて終わってしまう。
吉原では、妓女が客のように もてはやされる世界なのである。
この勝来の客も、同じように勝来のご機嫌取りをしていた。
酒宴代、引手茶屋の手数料、男性職員へのチップ。 そして揚げ代と言って、妓女の値段などの計算をすると七拾両はかかる。
一両は現代の十三万ほどの価値であり、七拾両だと、現代の価格だと約九十三万円にのぼる。
これだけの金を払って嫌われたとなったら、男として恥ずかしいものであろう。
実質、花魁ともなれば毎回、百万~百五十万円の金が掛かるのものである。
昔の話しになるが、『太夫(たゆう)』と呼ばれていた妓女がいる。 これは花魁より上の格になる。
そんな太夫は、『傾城《けいせい》』とも呼ばれていた。
とても金が掛かる美女。 城が傾くほど金が掛かる美女と言うような女性もいたのだ。
それほど妓女とは、金の掛かるものなのである。
しかし、勝来にどれほどの価値があるのかは、本人さえも知らない。
これは見世が決める事であり、三原屋の文衛門と采しか知らないのだ。
そして酒宴を楽しむが、客は初めてでは高級妓女と夜を共にすることは出来ない。
初回であれば、話しもしない。 食事にも箸を付けないなど、お高いにも程がある! と言いたくなる。
しかし、これが大見世である。
もし、夜の相手だけであれば小見世や河岸見世を使えば済む。
だが、大見世は男の箔でありステータスとなるのだ。
そして夜も更け、午前零時には見世を出て行くのである。
勝来も初戦で疲れたのか、急いで部屋に戻り寝てしまった。
翌朝、勝来の部屋が騒がしかった。
梅乃と小夜が片付けをしていた。
「うぅ……ん?」 勝来が目を覚ます。
「お前たち……」 片付けをしている二人を見て、勝来が声を出した。
「おはようございます。 姐さん」 梅乃と小夜は元気な声で挨拶をしていた。
「なんか落ち着かない……」 人の世話ばかりしていた勝来が、今度は される方になっていたのだから当然である。
「これから慣れたらいいのよ」
「えっ?」 勝来は驚いていた。 梅乃と小夜の他に、菖蒲も片づけをしていた。
この「慣れたらいいのよ……」 と、言ったのは菖蒲であった。
「菖蒲姐さん、何を―」 当然だが、先輩の菖蒲が片付けをしていたのだから勝来はパニックになっていた。
勝来は慌てて正座をし、頭を菖蒲に下げていた。
「いいのよ。 これが吉原なんだから」 ニコッとして菖蒲は答えた。
「……」 複雑な気持ちになった勝来の一日が始まる。
第 百十三話 里はいずこか 「わぁ~♪」 梅乃は感激していた。 人生で初めて船に乗り、海から見える陸をみて喜んでいる。 「梅乃ちゃん、船は初めてかい?」 大木がニコニコしながら訊くと 「前に小さなタライ船に乗ったことがあります……」 梅乃はケロッと話す。梅乃がタライ船に乗ったのは玲たちに誘拐された時だ。 宴席でその話を聞いた事があった大木は思わず苦笑いになっていく。 (そんな壮絶な経験をアッサリと……) 梅乃が海面を見ていると小さな魚が跳ねている。「大木様、これは何という魚でしょうか?」 梅乃が訊く。 キラキラした眼に大木は思わずドキッとしてしまった。 (いかん…… 梅乃はまだ十五歳じゃないか……) 陸から離れ二日、近衛師団や医師団は顔を青くするようになっていく。 「うえ~っ―」 船酔いである。 「大丈夫ですか?」 梅乃は船で救護にあたった。 「軍艦は揺れるからな…… そのうち慣れるよ」 大木は笑っている。 (医師団は船に乗らないから解るが、兵隊さんも?) 梅乃が首を傾げる。 近衛師団は天皇直轄の陸軍であり、初めて船に乗る者も多かった。 軍医の一人の年配男性がやって来て梅乃に話す。 「これは船酔いと言って、揺れからくるものだ。 数日すれば治まるよ。 それまでは嘔吐や熱が出た
第 百十二話 交換条件 吉原には厳しい季節がやってくる。 「もう十月か…… これじゃ年末や正月の目処《めど》が立たないよ……」 妓楼では嘆き節が聞こえてくる。 その中で、一番の打撃を受けているのが三原屋である。 引手茶屋では勝来の殺人容疑の噂が消えていない。 時折、出てくることで勝来の客は遠のいていった。 (今は我慢だ…… しかし、このまま勝来が沈んでしまったら……) 采にも嫌な妄想が膨らみ始める。 「勝来姐さん、失礼しんす」 梅乃が勝来の部屋に入っていくと勝来の表情は沈んだままで、菖蒲が慰めていた。 「梅乃……」 菖蒲が言葉を漏らす。 梅乃はキョトンとして 「姐さん、なんで暗い顔をしているのです?」 その言葉を聞いた菖蒲は 「お前、なんで そんな事が言えるんだい? 勝来が殺人者の扱いをされていると言うのに……」 菖蒲が憤っている。梅乃は決して空気が読めない訳ではない。 「でも、疑いは晴れたじゃないですか…… 私だって何もしていなくても『死神』と呼ばれていましたから……」 梅乃がケロッと話す。 当時は落ち込んでいたが、段々と前向きになれたから言える言葉だった。 「ここまで三原屋を落としてしまった責任があるからさ……」 勝来が言葉を漏らすと
第 百十一話 耐え難きを耐え吉原に戻ってくると、静かな雰囲気だった。 昼見世の時間、多くの客は夜の為に品定めをする。 どの娘と遊ぼうか……だ。大見世の客は遊女を替えることはしない。 最後まで選んだ遊女と過ごしていくのが一般的である。 中には金持ちや舞台役者などが顔を見せると、違う遊女を指名することもある。 そんな中、ゆっくりだが三原屋で成績を伸ばしている妓女がいる。 千だ。千は気遣いの達人であり、どの客にも優しく接している。 今までの吉原の風習であれば『女性上位』であり、妓女が嫌がれば簡単に出入り禁止になってしまっていた。吉原の大見世は格式が高く、客は黙ってご機嫌を伺うようになっていた。 その風習に風穴を開けたのが千である。「源八様、着物が破れかかっていますね。 縫ってあげますわ……」千が客の着物の糸がほずれているのを見ると、静かに縫い出す。 客は黙って酒を飲んで待っていた。千は客の顔を識別できない。 遣り手の元で客が支払いをするときに、遣り手が客の名前を呼ぶ。 そうして客の名前を覚えていった。 その為か、千は客の選り好みはしない。 誰にでも平等に接していくうちに、多くの客は千の癒しを求めるようになっていった。 「千姐さんは凄いです」 禿の一花が驚いていると 「せ 千姐さんは気遣いが凄くて、私も勉強になるんだ」 古峰が微笑んで説明している。 昼見世の時間が終わり、多くの客が帰っていく。 千も玄関で見送っていると
第 百十話 容疑 警察署では勝来の取り調べが行われていた。 「お前、花魁だろ! どうして殺したんだ?」 「私は殺していませんし、叩いてもいません」 こうなると取り調べではなく、尋問となっていく。 それは三日間、同じ事を繰り返して警察も勝来も一歩も引かない状態になっていた。 吉原では悪い噂が流れ、三原屋は閑古鳥が鳴くような状況になっていく。 「はぁ……」 采が困った様子になっていくと 「お婆…… 勝来姐さんは大丈夫ですよ。 何もしていないのですから、信じて帰ってくるのを待ちましょう」 梅乃は心労の采をなだめていく。 「では、行ってまいります」 小夜が元気な声を出すと、後ろに梅乃がついていく。 二人は警察署に向かったのだ。 吉原から早歩きで一時間ほど、「遠いな……」 小夜がぼやくと 「もう少し! 私が行った戦場は六時間ほどだったから……」 梅乃はニコニコしながら話す。 「梅乃は元気よね~ 昔から動きまくっていたものね」 そんな話をしていると警察署が見えてくる。 「あった。 ここに勝来姐さんがいる……」 「ごめんください」 今度は梅乃が元気に挨拶をする。 「お嬢ちゃん、どうしたんだい?」 警察官が訊ねると 「ここに勝来姐さんがいると思うのですが……」 「勝来? あぁ、吉原の女郎か?」 警察官は書類を調べ、容疑者の面会室へと案内する。 待つこと十分。 待合室のドアが開くと 「勝来姐さん!」 梅乃と小夜が声を掛ける。 勝来の顔は疲れていた。 元々が細い顔立ちだが、更に痩せた印象だった。 「大丈夫ですか? ここではどんな事を……?」 小夜が訊くと、勝来は下を向きながら着物の袖をまくる。 そこには無数のアザが出て来た。 梅乃は警察官を見る。 警察官は普通の顔をして勝来を見ていた。 (拷問は当たり前ってことか…… 戦争も同じ、官と呼ばれる者が正義なんだろうな……) 梅乃は黙って警察官を睨む。 「姐さん…… これ、着替えです」 小夜が勝来に着替えを渡す。 「ありがとね」 勝来が受け取ると 「ここで着替えなさい」 警察官が言う。 「ここで? なら、しばし出ておくんなんし……」 「貴様は容疑者だぞ! 犯罪人をそのまま置いておけるか! 早く脱げ」 警察官は悪びれもなく叫ぶ。 勝来は数秒、下を向き “シュ…… ” 帯
第 百九話 伝統 秋になり、外は冷え込んでいた。 そこに二人の女が運ばれてくる。 「早く歩くんだよ!」 縄で縛られ、声も出せないように猿ぐつわをされていた。 これは吉原伝統の拷問である。 中見世の裏側、客も滅多に歩かない場所に大きな木がある。 そこには縄が掛けてあり、女を木に縛っていく。 「それで、誰に言われてやったんだい?」 三原屋の妓女が聞くが、勝来を襲った女たちは答えない。 すると “バシャッ―” 二人の妓女に水を掛ける。 秋が深まり空気が冷えて来た頃には水の冷たさが刺さってくる。。 「早く吐きな! これならどうだい?」 三原屋の妓女が棒を持ち、女たちを叩く。 江戸時代から昔、遊郭では足抜けが多かった。 会所の者が捕まえては妓楼に戻し、その後は三日間の折檻が続いたと言われている。 真冬であれば水を掛け、棒で叩くのは当たり前である。 折檻で死んでいく妓女も少なくなかった。 これは吉原だけでなく、日本の遊郭のしきたりのようなものだった。 今回は花魁への襲撃という悪事に対しての折檻ということになる。 しばらくの折檻が続き、黙ったまま采と洋蘭が見届けていると 「お婆、そのへんで……」 梅乃が止めに入る。 「何を言ってるんだい! 勝来が襲われたんだ。 こんなもんじゃ済まないんだよ」 采の目が厳しくなると、隣の洋蘭が何度も頷く。 厳しかった時代を過ごした二人には当たり前のことだったようだ。
第 百八話 影踏み勝来が引手茶屋から戻ってくると、三原屋では緊張が走った。それは勝来から溢れ出てくる気だ。 顔つきが険しく張った肩、そして普段なら静かで上品に歩くのが勝来なのだが……(間違いなく怒ってる……) 誰もが分かる雰囲気だった。「では、コチラでありんす……」 客を案内する勝来の表情は、表向きは笑顔だが普段から接している者には分かりやすかった。酒宴が始まると勝来は笑顔で接客するも「勝来さん? どうかしました?」 客も異変に気づく。「いいえ、何でもございませんよ……」 素っ気ない対応をすると客は黙ってしまう。「小夜、古峰~」 梅乃が二人を呼ぶ。「梅乃、どうしたの?」「勝来姐さん、戻ってきてから変だった…… 二人で宴席に入って見てきてくれない?」梅乃は遣り手の席から指示をする。 しっかり女将の代行が出来るようになっていた。“スッ――” 小夜が静かに襖を開ける。 客は困惑した表情で勝来に酒を注いでいた。「どうしたんだい? この宴席にお前達が来る所じゃないよ」勝来が厳しめの目で言うと「はい。 しかし、梅乃から言われまして……」「……」
第四十六話 袖を隠す者 昼見世の時間、禿たちは采に指示を受けていた。 「いいかい、妓女として芸のひとつは身につけておかないとダメだ! 舞踏、三味線、琴でもいい…… わかったね!」「はいっ!」 三人は元気に返事する。 この冬を越えれば梅乃と小夜は十三歳となる。 菖蒲や勝来は十四歳の終わりに水揚げをし、十五歳になったら客を取
第三十八話 逆襲「こんにちは~」 梅乃が挨拶をする。この日は赤岩と往診に出ている。「あ~ 梅乃ちゃん、いらっしゃい。 先生もありがとうございます」そう言って、妓楼の中に入れてくれたのは小松崎である。以前、大量の足抜により頭を抱えていた『小松屋』の店主である。梅乃の活躍によって足抜は無くなり、見世を維持できていた。そんな小松屋が三原屋に往診を依頼してきていたのである。赤岩と梅乃が大部屋に入ると 「一列に並んでくださーい」 梅乃は早速、妓女並ばせる。(すっかり手慣れたもんだな……) 赤岩がクスッと笑う。「では、始めます」 赤岩が言うと、梅乃が妓女の服の下を確認していく
第二十二話 昼《ひる》行燈《あんどん》「潤さん、おはようございます」 梅乃は早起きをして、見世の前をホウキで掃いていた。「おはよう、梅乃~」 片山も朝早くから掃除をしていた。初夏になると朝陽が昇るのが早い。早い時刻に外が明るくなる為、自然と『後朝の別れ』も早くなっていく。“ゴーン ゴーン ” と、掃除をしている途中に、浅草寺の鐘が鳴る事も稀《まれ》である。そこに赤岩が現れた。「おはようございます」 そう言って、赤岩は身体を伸ばしていた。「赤岩さん、いつも早いですな~」 片山が声を掛けると「夜、寝るのも早いですから~」 赤岩はニコッと答えた。(あれ? 赤岩さんの部屋、
第二十話 新しい禿「……」「へっ?」 梅乃と小夜は驚いていた。「何、ボーっとしているんだい! 部屋割りと仕事を教えてやるんだよ」采は梅乃たちに言っていた。「は、はい―」 三原屋は、新しい禿を迎えいれることになったのである。(先日の客は、この事だったのか……) 梅乃は思い出していた。時を戻して三十分前、「梅乃、小夜、新しい禿になる古峰《こみね》だ。 しっかり教えてやりな」 采の言葉だった。そして古峰は 「……」 無言だった。(この娘は……声が出せないのかな? たまに吉原では変わった人はいるけど……) 「こんにちは。 私は梅乃、よろしくね♪」 梅乃は、『最初が肝心《か